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簡単にするということ 

バンドの仲間からいつも言われてたことがある。

それは、「もっと簡単にしたほうがいい」

意味がわからない。

実際私は必要最低限のことしかしてないつもりだったし、難しいことなんてやってないつもりだった

いろいろ腹を割って話して、

それでもわからない。

ずーっとずーっと考えて

それは私自身の中にあることに気づいた。

あなたのキーボードは考え方を変えれば、がらっと変わってくるよ、
って言われ続けてきたのに、理解できなかった。

理解しようとしてる、っていっても実際は頑なに心を閉じていたんだ。

それがわかったとき、

思い出したことがある。


昔、師匠(アルトサックスプレーヤー土田真弘さん)に歌を習ってた時

師匠は「ピアノは全然ダメだよ」って言いながらも私が歌をうたうときは伴奏をつけてくださっていた。
ただ単にコードを押さえるだけ。
しかもテンションなんか入れずに例えばCならドミソとか・・・

でも、凄く歌いやすかった。
ノリがあって、楽しくて!

いつもみんなに言われてるグルーブ感っていうのがあったんだな。


やっとそれに気づきました。



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思い出のバイト♪ 

前の記事http://tokimekiblue.blog82.fc2.com/blog-entry-48.htmlの続きです。(これからはカテゴリー“月の光”として書くことにします。

飯吉馨さんのところでジャズのレッスンを受けてはいたものの、やはり、ロックやポップスのバンドもいくつかやっていました。
スタジオ代がかかる上に、ウィンドサーフィンなぞやっていたので (あまりうまくなりませんでしたが;;)、当然お金が必要となり、バイトをしまくってました。
ウェイトレスはもちろんのこと、水泳の指導員やら、ホテルのステーキハウス、色々やりましたが、中でもおもしろくて、思い出に残ってるのは、ロー○ンドのキーボードのデモンストレーターでした♪

デパートや大手スーパーのエスカレーター前や、店頭広場に小さなステージが作ってあって、派手な色のロゴ入りトレーナーを着てデモ演奏するんですが、都内だけでなく、埼玉、千葉、遠いところでは土浦まで行きました。
友達はそんな私の様子をみて、どさ回りだって、笑ってました。

ちょっとしたオーディションがあって、そのあと研修。そして先輩について何軒か修行(?)をした後、一人立ち・・・
はじめてのデモの時はそれはもう緊張しました。

まず、一発ハデ~な曲を弾きます。 そこで人垣を作るのが勝負の分かれ道。
そのときは中森明菜がうけましたね。。。
それで、
はい、みなさん、こんにちは~♪ ただ今の曲は○○でした。
ところで皆さん、ロー○ンドって、ご存知ですか?
ロー○ンドのシンセサイザーは、××や、△△や、□□ (ここでたくさんのミュージシャンの名前を挙げる)達も使ってるんですよ!


みたいなことを始めに言うんです。
デモしてたのはシンセではなく、一般家庭向けのシーケンサーつきのキーボードです。
それで、まずはピアノの音で、っといって、エリーゼの為にや、トルコ行進曲などを弾きます。リチャード・クレーダーマンなんかもうけましたねww
それからはテンポよくいきます。次はロックのリズムで最新のヒット曲、でも、おじ様たちが多い時はダイアナがうけました。それから、ボサノヴァ、やっぱりイパネマの娘でしょう。それからテクノ(わ、懐かしい響き!)YMOですね。
スローロックのリズムでちょっとアチラモンを弾いたあと、そのまま、このリズムではこんなのも出来るんですよ~♪ とか言って、いきなり演歌に突入!
そこで、購入意欲をそそるんですね(^^;)

デパートやスーパーはこんな感じでしたが、楽器店ではまた違った反応でした。
まず、演歌はあまりうけません。 カッコよくないと振り向いてもらえません。 店員もしっかりチェックしてて、今のはちょっと失敗だったね~とか言うんですよf(^^;)
店員からのリクエストで、シャカタク弾いたこともありました。(これまた懐かし~)
ギターやベースをもったすごい格好の兄ちゃんたちにバンド入んない?なんて言われたこともありました^^
 

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Ebb Tide ~引き潮~  

つづきです。。

飯吉馨さんのことについては、お恥ずかしいことに先に紹介した本を読むまでは、新潟に生まれ、新潟大学の音楽科を出た、くらいのことしか知りませんでした。(しかも先月読み終わりました!)
お年もその当時60代前半かな、と思っていたのですが、その本によると、まだ50になるかならないかだったようです!!(かなりびっくり!)
がっちりした体格にシルバーグレーのウェービーな髪、フリルのついたドレスシャツが似合うような感じの方でした。

飯吉先生のクラスは確か7、8人くらいのグループだったと思います。殆どが大人の人たち。高校生は私ともう一人男の子がいました。
そこで具体的に何をどのように習ったのかはよく覚えていないのですが(情けない・・・)先生がよく曲を弾いて聴かせてくださいました。
その音色はきらきらと輝いていて、それは美しいものでした。
私が知っている先生のコンサートでは必ず、Ebb Tide (引き潮)を弾いてくださいました。その頃の先生のテーマ曲だったのでは、と思います。
流れるような美しい、そしてどこか悲しくて力強い、寒い海が目に浮かぶような演奏でした。

何年かして、私も少しお店で弾くようになってからは必ずオープニングは Ebb Tide を弾くことに決めてました。先生には到底およびませんが、緊張してる一曲めにこれを弾くと安心しました。


そのクラスが終わる頃には生徒は3人くらいになっていました。例の男の子もいませんでした。
そんなある日、先生のプライベートなパーティーに誘っていただきました。それは赤坂の小さなクラブで、私はドキドキでしながらドアをあけました。先生には取り巻きの方々が随分いらっしゃったようで、ほんとに大人の女性ばかり・・・
うっ、ば、場違いのところに来てしまった・・・と思いました。高校生の行くところじゃないですよね(^^;)
あまりに緊張して、その時先生が何を弾いてくださったかあまり覚えていません。。。

やがて、そのクラスも終わり、なんと、先生のプライベートレッスンを受けられることになりました!!!
先生のお宅は港区の白金にあるマンションでした。

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月の光 

私は月を見るのが好きです。
冬の月は明るくて輝いてます。
そして、ドビュッシー月の光 ・・・

暗い空に静かに輝く月、悲しみも喜びもただ黙って見つめている。
切なくて美しいこの曲が大好きです。

私が今でも師匠と慕う、今は亡きアルトサックスプレーヤーの 土田真弘 さん、その方が亡くなる何日か前に私に一本のカセットテープをくださいました。

これいいから聴いてごらん。。。

そう言ってその場でかけて下さいました。
すると、なんとも切ないサックスの音色・・・

フィル・ウッズ が吹く 月の光 でした。

出だしの細く、柔らかいその音色は、師匠の気持ちをあらわしているようでした。

土田真弘さんは平成元年一月にひっそりとその一生を終えました。
多分お年は50才代だったと思います。
決して長いとは言えないその人生は本当に深く、色とりどりのものだったと思います。チャーリーパーカーを地でいく様な生き方は、平成の世にはついていかれなかったのかも知れません。

私が人生でこれほど影響を受けた方はいないでしょう。
この方のことを忘れないために、しっかりと心に刻みなおしたい為にこのブログをはじめたのかな、とも思います。

私は全盛期の彼を知りません。
でも、彼の奏でる音楽は本当にすばらしく、その音色は私の心を打ち、感動させ、涙させ、ハッピーにさせました。
その生き方は不器用だったかもしれませんが、私は一流のプレーヤーだと思います。


土田真弘さんと出会う前に、もう一人、忘れてはならない方との出会いがありました。
ピアニストの 飯吉馨 さんです。

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